サッカーの男子日本代表の人気低下が、いよいよ深刻を極める事態に陥っているそうです。
何でも、岡田暫定監督の不人気と、魅力的な選手が見当たらない状況に嫌気が差したサッカーファンが、そっぽを向いたようです。
今の日本代表は、強くないし、面白くないし、強くなりそうな要素も、面白くなりそうな気配もありません。
ドイツW杯での惨敗以来、アジアカップは4位、オシム氏が病に倒れ、五輪男子代表は惨敗と、明るい材料がないのです。
Jリーグの人気は決して低下していません。
欧州では、クラブチームがサッカーシーンの中心に位置しているので、日本も欧州の風潮に迎合しつつあるとの見方もできるでしょうが、そもそも、日本サッカーの発展、人気向上は代表チームを中心に展開されたものです。
先のクラブW杯でのガンバ大阪対マンチェスター・ユナイテッドの熱狂が示すとおり、日本人は「日本対世界」の構図に大きな関心を持っています。そのため、日本人は代表チームに注目してきたのです。
その代表チームの人気が低迷すると、日本サッカー界の空洞化に歯止めが利かなくなります。
Jリーグやアジアチャンピオンズリーグには興味がない、観るのはセリエAやプレミアリーグ、リーガ・エスパニョーラ、そしてUEFAチャンピオンズリーグだというサッカーファンが非常に多いのです。
そうなってくると、日本におけるサッカーの位置づけが、マイナースポーツに転落する危険性すらある気がします。
前置きが長くなりましたが、私が何を言いたいかというと、日本代表の岡田暫定監督に、「(恒例の)ワールドサッカーオウンゴール誌が選ぶ2008年Jリーグベストイレブン」を参考にせよ、ということです。
遅ればせながら、2008年のJリーグを彩った11人をご紹介しましょう(成績、所属は2008年のもの。年齢は2009年1月1日現在)。
ゴールキーパー
川口能活(33歳、磐田、33試合)
J2仙台との入れ替え戦、第2戦の試合終了後に見せた涙は、磐田の苦しいシーズンを象徴していた。名門がJ1に踏みとどまれたのは、日本最高のゴールキーパーの存在があったことも一つの要因だろう。
ディフェンダー
田中マルクス闘莉王(27歳、浦和、31試合11得点)
ブラジル人ながら、「日本のフリット」の異名を襲名。リベロからセンターフォワードまで、中央のあらゆるポジションを非常に高いレベルでこなし、しかも抜群の得点力を誇る。「終わりそうで終わらない髪型」は、あのデル・ピエロに通ずるところがある。
森岡隆三(33歳、京都、7試合)
あまりにも早すぎる引退を決断した「トルシエサッカーの屋台骨」。キャプテンマークを巻いてフラットスリーの中心に君臨する姿は、かつて日本中を熱狂の渦に巻き込んだ。2007年に当時J2の京都に加入したことが、サンガの今の繁栄に繋がっていることは言うまでもない。
イリアン・ストヤノフ(31歳、広島、32試合2得点)
イビチャ・オシム率いる千葉では、リベロとして、豊富な運動量と高いテクニックを駆使した攻撃参加で攻撃に厚みをもたらしていた。しかし、2007年にアマル監督と確執が発生し、新天地に広島を選ぶも、チームはJ2に降格。しかし、この元ブルガリア代表の実力者は降格の責任を負う形でチームに残留し、圧倒的なパフォーマンスによる一年での昇格に大きく貢献。昨季の広島は42試合で勝ち点100、99得点、35失点という天文学的強さを誇った。
ミッドフィールダー
シジクレイ(36歳、京都、33試合1得点)
ピッチのどこにいても、その風貌とフィジカルなプレーで圧倒的な存在感を誇る「在日ブラジル人選手」。ガ大阪ではリベロを務めていたが、新天地の京都では中盤の底に入り、敵の攻撃の芽をことごとく摘み取っていた。97年に山形に加入して以来、今年で来日13年目、流暢な日本語を操るこのダイナモを、そろそろ日本代表に加えてほしいところ。
本山雅志(29歳、鹿島、32試合3得点)
各年代の日本代表において、スーパーサブとして名を馳せた稀代のドリブラーは、今季、鹿島の連覇が決まった後、先天性水腎症を患っていたことを告白。本来ならサッカーをプレーすることは不可能とされる病気だが、このチームリーダーは痛みをおしてピッチに立つことを決意。闘志溢れる「10番」が、苦しい戦いが続くチームを最後まで牽引した。
森島寛晃(36歳、セ大阪、1試合)
誰よりもセレッソを愛するキャプテンは、一昨年から悩まされている原因不明の首の痛みを克服することが出来ず、ついに志半ばで引退を決断した。2000年の第1ステージ最終節、2005年の最終節と、二度に渡って優勝の夢が目前で消えてしまったが、「モリシ」は三度目の正直を志している。「日本一腰の低いJ監督」として、いつの日か長居に桜を咲かせることを。
名波浩(36歳、磐田、13試合)
「名波の左足」は芸術品という枠と通り越して、人間国宝に値するものだった。昨年、ピッチの上で出来ることは限られていたが、この生ける伝説から、後進は多くのことを得たであろう。
フォワード
巻誠一郎(28歳、千葉、30試合11得点)
主力の大量流出の末に、開幕11試合で2分9敗で断トツの最下位、監督も交代し、千葉の残留はもはや絶望的と思われたが、代表クラスの選手の中で唯一、千葉に残留したこの男の闘志には何の陰りも見られなかった。
「巻 FOR ALL」「ALL FOR 巻」の合言葉の元に、チームは怒涛の「巻き」返しを見せ、最終節に望みをつなぐ。引き分け以下ならJ2降格という状況下で、FC東京を相手に後半半ば過ぎまで2点のビハインドを負うも、そこから立て続けに4点を奪い、ついに大逆転での残留が成就した。サポーターと共に涙を流した巻は、創部以来一度も2部に落ちたことがない古河電工の伝統と共に、「生きる伝説」と化した。
佐藤寿人(26歳、広島、40試合28得点)
かつてJリーグにおいて、これ程までに見事な「有言実行」を果たした日本人選手がいただろうか。
京都に敗北した2007年の入れ替え戦、悲しみに打ちひしがれるチームの中にあって、寿人はサポーターに向かって拡声器で「絶対に一年でJ1に戻る」と宣言した。日本代表に名を連ねるチームの顔のこの決断に応え、(駒野という例外を除いて)広島の主力選手は揃ってチームへの残留を決意した。
広島は圧倒的な強さでJ2を制し、寿人自身はJ2では9年振りとなる、日本人による得点王獲得を果たす。さらに、代表の岡田暫定監督はこのJ2最強ストライカーを招集した。
打ち立てた目標のほぼ全てを実現した寿人に、男を見たファンは多いことだろう。ちなみに、磐田に移籍した駒野は二年連続で入れ替え戦に出場した。
柳沢敦(31歳、京都、32試合14得点)
そもそも、WSO誌でこのベストイレブン企画を組んだのは、今季の柳沢を讃えるためであったと言っても過言ではない。
97年新人王、98年、01年ベストイレブン、日本代表58試合出場17得点、セリエAでは2シーズン半プレーし、シドニー五輪、ワールドカップの日韓、ドイツ両大会でレギュラーの座を獲得したストライカーも、2006年に鹿島へ復帰して以降は怪我の影響もあって結果を出せず、出場機会が激減した。チームは2007年に大逆転で優勝を果たしたが、柳沢自身は捲土重来を期して、惜しまれつつも新天地を求めた。
元日本代表のエースストライカーの京都移籍は、端から見れば「都落ち」以外の何者でもなかったが、ポジションを確約され、伸び伸びとプレーできる環境を手に入れたJ通算80得点の実力者が、トップフォームを取り戻すのは必然だった。
J1への残留を唯一絶対の目標とするチームにおいて、柳沢は攻撃の核としての役割を十分に果たした。もとより定評のあった、攻撃を組み立てる能力やオフザボールでの質の高い動きはもちろん、近年見られなかったゴールへの積極性も示し、チームを牽引した。
コンスタントに得点と勝ち点を重ねて、残留まであと一歩と迫って迎えた第31節の横浜戦では、早くも伝説となりつつある、セットプレーの早いリスタートで、後方から飛んできたボールをダイレクトで捉えるというスーパーゴールを決めた。
終わってみれば日本人単独トップの14得点を挙げ、8年振りのベストイレブンを受賞(WSO誌の11名の中で公式のベストイレブンも獲得したのは他に闘莉王のみ)。特筆すべきは、その数字以上の存在感を放ち、近年、J1で結果が出せなかったチームを、残留に導いたことにあった。
もはや日本代表への復帰は秒読みと思われていたが、代表の岡田暫定監督は何をとち狂ったか、「13番」のユニホームを別の選手に与えることにした。
しかし、今季も柳沢が京都のエースに君臨することは間違いないところ。将来的にはカターレ富山でプレーし、チームを躍進に導くことだろう。
いやー、しかし、今年のベストイレブンには、大波乱が起こりましたね。
何しろ、15年連続で選ばれている三浦知良(横浜FC)と、同じく14年連続の中山雅史(磐田)が選外になったのですから。2009年は、彼らの奮起に期待したいところです。
そして、選ばれた11人は、南アフリカを目指して奮闘していただきたいと思います。
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