小林のマオにはがっかりしました。
もうずいぶん前の話になりますが、ヴァンクーヴァー五輪が終わりました。
今大会、日本勢は銀3個、銅2個を獲得し、数の上では長野五輪以来の活躍ぶりだったといえるでしょう。
しかし、日本人の胸にはどこかひっかかるものが残っていることでしょう。
それは言うまでもなく、誰もが心より願っていた、
「真央の金メダル」が観られなかったことに原因があります。
誰からも愛されるキャラクターと風貌、そして超一流といえるフィギュアスケートの実力で、彼女はまさに日本の至宝と呼べる存在です。
そんな真央の金メダル獲得は、このヴァンクーヴァー五輪における最大のハイライトになるはずで、みんな大いに期待していました。
しかし……。
真央はいくつかの失敗があったものの、SP、フリーで3度の三回転半ジャンプを降りましたが、結果として金メダルを獲得したのは、あの「THE韓国代表」であるキムチ・ヨナ氏でした。
この宿敵を破って金メダル……卑しい心の持ち主である私はそんなシナリオで溜飲を下げようと思っていたのに……。
残念でなりません。
前回のトリノ五輪はほとんどの日本人選手が不本意な結果に終わり、一部の選手は非難も浴びましたが、たった一人の女子選手の偉大なる成功で、日本人はみんな幸せな気分に浸ることが出来ました。
荒川静香の記憶が鮮明なだけに、金メダルなき五輪に満足はないのです。
真央がその悲願を達成する次の機会は、4年後のソチに持ち越されました。
4年後なんて、ずいぶん先の話であるように思われます。
ただし、その期間はひょっとしたら、我々日本人にとって、究極の歓喜の下味となる「熟成期間」になるのかもしれません。
平成5年、サッカー日本代表は翌年のワールドカップ・米国大会への出場に後一歩まで迫った試合の後半ロスタイムに同点ゴールを喫し、予選敗退を余儀なくされました。
いわゆる「ドーハの悲劇」です。
このとき、日本のサッカーファンは絶望に打ちひしがれましたが、この経験があったからこそ、4年後のジョホールバルで極上の歓喜に酔いしれることが出来たのです。
もしドーハでW杯出場を決めていても、ジョホールバルで野人が示したような感情には浴せなかったことでしょう。
平成15年の女子プロゴルフツアーで、当時高校3年生だった宮里藍が優勝を決めた瞬間、女子ゴルフの歴史が大きく動き始めました。
地味だった女子ゴルフが、たった一人の少女の登場により突如として脚光を浴びるようになり、現在に至るまで次々にスター選手が登場しています。
そのパイオニア的存在の藍は、期待に違わず非常に強いゴルファーに成長し、平成17年には賞金女王の座に就き、翌年にはついに本場米国のLPGAツアーに参戦しました。
しかし、「すぐにでも勝てる」と目されていた藍は米国で思わぬ苦戦を強いられ、深刻なスランプに陥るなど、長く勝てない日々が続きました。
そんな中でも徐々に力と経験を蓄えていった藍は、参戦4年目の昨季、念願のLPGAツアー初優勝を飾り、涙に暮れました。
ずっと藍を追い続けてきたファンの方にとっては、辛い日々が続いた分、初優勝の喜びはひとしおだったことでしょう。
平成15年、日本球界を代表する強打者である松井秀喜が、遂に野球界の最高峰、米MLBのヤンキースに入団しました。
その年、秀さんは期待通りヤ軍のレギュラーに定着し、地区優勝に貢献。迎えたポスト・シーズンでも秀さんの活躍は止まることを知らず、驚くべき2メートルの歓喜のジャンプも披露しました。
秀さんはMLBの最高峰、ワールド・シリーズで、ついに名門ヤンキースの4番打者の座を手中にしました。
しかし、その4番で出場した試合でついに一本の安打も打つことが出来ず、ヤ軍はマーリンズの軍門に下ってしまいました。
私は、ワールド・シリーズ優勝だけを目標に闘ってきた秀さんの夢が破れたことを悔しく思いましたが、その一方で、「その夢を叶えるチャンスは来年以降もある。秀さんはもっと偉大な選手になってヤ軍をタイトルに導くはず」という希望を抱いていました。
しかし、翌平成16年はア・リーグ優勝決定戦で敗退、平成17年は地区シリーズ敗退。
そして平成18年……。
痛々しい「5・11」の記憶……。
果たして秀さんのヤ軍は入団一年目のシーズン以来、ワールド・シリーズへの進出を逃し続けました。
迎えた平成21年は秀さんにとってヤ軍との契約最終年。両膝を手術し、体調が大いに不安視される秀さんに翌年以降の残留の目がないことは周知の事実で、「ヤ軍の秀さん」としてはラスト・イヤーでした。
名門球団に憧れ、ワールド・チャンピオンを夢見た秀さんにとっては、ピンストライプで頂点に立つ最後のチャンス。そこには、悲壮感が漂っていました。
しかし、秀さんは自らの信念と実力で道を切り開きました。
その打棒でヤ軍をチャンピオンに導き、
自身はワールド・シリーズMVPに輝きました。
ハリウッドで映画化すべきこのストーリーは、ヤ軍入団一年目の敗北、その後の苦難に満ちた道のりがあって、この極上のドラマを織り成しました。
7年という気の遠くなるような熟成期間が、見るものの目に涙を溢れさせたのです。
話を浅田真央に戻しましょう。
真央が今回のヴァンクーヴァーで金メダルを取っていれば、国民は、
「やったね、よかったね真央ちゃん」
「ざまーみろキムチ女」
などと、踊るような喜びに包まれたことでしょう。
しかし、カナダの地で夢叶わず、その後4年間、努力を続けた真央ちゃん、いや、その頃は「浅田真央選手」と呼ぶべきでしょうが、もし彼女が金メダルに輝けば……。
いったいどれ程の感動を人々に与えるのか、想像に及びません。
真央が紡ぎだす物語は、オリンピックという断片だけを拾っていては、その偉大さを知るには至りません。
今回、真央とともに悔しさを感じた人たちは、この先4年間、真央が強くなっていく足跡を追ってみてはいかがでしょうか。
もちろん、次のソチ五輪で金メダルを獲得できるという保証は全くありませんが、真央が彼の地で笑顔か喜びの涙を流す姿を見ることができれば、まさに一生モノの記憶として残ることでしょう。
正直、私は今までも、ヴァンクーヴァーの舞台でも、真央よりは、様々な苦難を乗り越えてきた安藤ミキティや鈴木アッコさんを応援していました。
しかし、彼女達の年齢を考えれば、4年後も第一線にいることはあまり期待できません。
やっぱり金メダルが観たいです。日本人ですから。
23歳になる4年の間に、真央ちゃんが色気に満ちた選手になることを期待しています。
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コメント
ミキティの乳首透けてね??
投稿: くらも | 2010年3月19日 (金) 17時06分