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2010年4月 8日 (木)

一昨年のダイエー戦で、大道と一緒にお立ち台に上がった場面が最も印象的でした。

東京はまだ肌寒い日が続きますが、春の風物詩である桜も散り、これからようやく暖かくなってくるという頃合いです。

4月は出会いの季節でもあり、入学や就職で新しい道を歩き始めた方も多くいらっしゃることでしょう。

 

一年はまだ3分の1が過ぎたばかり。

 

平成22年の野球界では、そのわずか3ヶ月あまりの間に、悲しい別れが相次いでしまいました。

 

現役時代は芸術的な投球と古巣・巨人相手の快投で沸かせ、昨季から日本ハムの投手コーチを務めていた小林繁氏

 

走攻守三拍子揃い、入団三年目で前途洋々だった期待の外野手、小瀬浩之選手

 

 

そして、昨日……。

 

 

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巨人の一軍守備走塁コーチを務めていた木村拓也氏が37歳の若さで急逝しました。

 

「キムタク」というインパクトの強い愛称で知られる人物ですが、現役時代の実績はどちらかといえば地味なもので、通算1000本安打は達成しているものの、主要タイトルには縁がなく、ドラフト外で日本ハムに入団して以来、現役を通じて脇役に徹していた選手でした。

 

しかし、そんな人物の急逝のニュースを、各テレビ局のニュース番組ではトップに扱いました。

 

野球関連の話題がニュース番組の冒頭を大きく飾るのは、昨年で言えば、WBCの連覇、イチローの9年連続200本安打達成、そして秀さんのワールド・シリーズMVPくらいなものでした。

 

スーパースターの活躍と木村氏の死を同列に扱うことは出来ませんが、私が言いたいのは、それ程、この悲報は人々の胸を打ったということです。

 

そして、それだけの感情を抱かせるのは、ひとえに木村氏の生き様や人格によるものだったのでしょう。

 

平成16年、アテネ五輪の野球日本代表「長嶋ジャパン」は、各球団の主力選手を揃えた「本気」のチームでしたが、その24人のメンバーの中に、“なぜか”、カープで控えだった木村選手が選ばれました。

 

脳梗塞に倒れ、現場で指揮を執れないミスターは、自身に代わってチームをまとめるリーダーシップや求心力をもった選手を求め、白羽の矢が立ったのが木村選手でした。

 

本番では一塁ベースコーチとしてナインを激励し、出場機会はほとんど訪れなかったものの、その分、縁の下の力持ちとしてチームに大きく貢献していました。

 

長嶋ジャパンのラスト・ゲームとなった3位決定戦で、ようやく出番を得た木村選手は適時打を放ち、はにかんだような笑顔を見せたのが印象的でした。

 

銅メダルという結果は不本意なものであったと思いますが、木村コーチの胸にかかったそれは、他の誰よりも重みのある勲章だったように思います。

 

平成18年途中に、木村選手は巨人へ移籍しました。木村選手はカープで出番が激減し、半ば戦力外のような形でのトレードとなりましたが、しかし、巨人にとっては絶対に必要な人材でした。

 

原辰徳監督が復帰して最初のシーズン、この当時の巨人は、ヤンキースに移籍した秀さんの穴をずっと埋められずにいることから、球団始まって以来最悪の低迷期に入っており、再建に向けて様々な手を打っている最中でした。

 

その巨人復活の一翼を担うべく、請われたのが木村選手でした。

 

彼に求められたのは、どこでも守れるユーティリティ性、的確なチーム打撃の技術もさることながら、何よりも、その人望と野球に対する姿勢でチームの雰囲気とモチベーションを上げることでした。

 

その後、巨人がリーグ三連覇と復活を遂げられたのは、私の見識では、平成19年にFAで加入したガッツの打棒とひたむきな背中、並びにピッチ内外でのキムタクの気の利いた振る舞いが大きく貢献したと考えています。

 

木村選手は巨人でプレーした3年半の間に、すっかりチームに欠かせない存在になったからこそ、球団からは引退後すぐにコーチの座を用意されたのでしょう。

 

 

現役時代に共にプレーした仲の、広島の野村監督の話が、とても切なく響きました。

 

「『広島の自宅には帰ったのか?』と聞いたら、『いえ、朝一番で広島に来たのでまだ帰れてないんです』と言っていた。『子供達も楽しみに待っているだろうな』と話していたのが最後の会話だった」

 

「すぽると」では、達川光男氏が、「土曜日のデーゲームが終わった後に子供とバッティングセンターに行くのを楽しみにしていた」と明かしていました。

 

巨人に移籍して以来、広島に家族を残して、ずっと単身赴任を続けていた木村コーチにとって、広島への遠征は心安らぐ「帰省」の時間でした。

 

ノックバットを手にピッチの上に倒れたあの試合が終われば、久々に家族の元に帰る予定だったのでしょう。

 

家族も、木村コーチ自身も、楽しみにしていたに違いありません。

 

それなのに……。

 

 

もしあの試合、木村コーチの体調が保たれて、自宅でくつろぐ時間を得られたら、あんな悲しい出来事は起こっていなかったかもしれないと思ってしまいます。

 

もう一度だけ、元気な姿で家族に会いたかったでしょうに……。

 

 

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若大将の涙は、木村氏を慕う全国民の感情を代弁していました。

 

 

亡くなってしまった方に、「明日」は訪れません。

 

ご冥福を祈ることしか出来ません。

 

木村氏は誰より「明日」を、いや、「今夜」を待ち望んでいたはずでした。

 

 

 

 

3年後、5年後、10年後、私はずっと、誰からも愛された野球人・木村拓也の姿を忘れずにいたいと思います。

 

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